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2009年3月 9日 (月)

裁きと宗教

多数決で死刑になった場合に反対したと意思表明できないのは精神的苦痛や良心の自由に反すると宗教では規定するかもしれない。守秘義務で自分の悩みを生涯背負うかもしれない。

聖書には「裁いてはいけない」とされている。

被告に寄り添う隣人として法廷での救いを祈り、他の裁判員に影響を与えるのは宗教の道なのか?

仏教では死刑判決は出さないかもしれない。

親鸞は人間は自分中心にしか善悪の判断ができないとしている。自分の感性や価値観を絶対化してはならないとしている。

宗教では人を裁かないで済む世の中にする役目があるのではないか。

神教やイスラムは裁判員制度にコメントをもっていないようだ。

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