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2012年8月30日 (木)

竹島問題・・・李承晩ラインから

1952年1月、当時の韓国大統領・李承晩が一方的に宣言した李承晩ライン。その中に竹島も含まれていたが、日本は米軍支配下にあり、主権回復直前。韓国は、日本がまともに抗議できないことを見越したうえで竹島を武力で奪った。
「1953年から日本漁船の徹底的な拿捕が始まり、その数は、李承晩ラインが廃止される1965年までに233隻、計2千791人。当時の韓国は、日本との国交正常化交渉を有利にする外交カードとして、日本漁船を拿捕・抑留した。要は日本の漁船員を人質にした『人質外交』で、北朝鮮の拉致となんら変わりありません」(拓殖大学国際学部・下條正男教授)
「留置場は一部屋4畳半くらいで部屋の隅に便所があり、朝鮮人と一緒にぶち込まれた。多いときは一部屋10人、全部で80人位上もいて寝ることもできなかった。苦しさのあまり、便所から逃げようとして、便所の中を泳いだ者も。食事は丸麦1合くらいを1日2食、おかずは大根の葉っぱの塩漬けを毎日毎日73日間も食わせられ、栄養失調になり20日くらい入院した人も……」(1953年2月に開かれた国会の小委員会で、帰国した漁船長の証言。)
山口県萩市に越ヶ浜、玉江浦という2つの漁港。当時、いずれも人口2000人くらいだったが、2つの漁港から合わせて144人もの漁民が拿捕されている。
この歴史を正しく認識すべきである。

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